九地篇の内容
九地篇は、地形篇と対となる篇で、劣勢を跳ね返す「奇」の戦い方を述べます。本篇には二度の九地の解説が出てきますが、本サイトでは、冒頭の前半は、客戦(侵攻軍)で、後半は、主戦(迎撃軍)の立場で書かれていると解釈をしています。客戦(侵攻軍)は「絶地」(敵領土の奥深く)、主戦は「圮地」(本サイトでは、自国領土、国境付近。散地と軽地を合わせた場所)としています。九地篇では、大きく分けて2種類の逆転方法を述べます。一つ目は、敵地で「背水の陣」(あえて危機的状況に追い込んで決死の覚悟を引き出して戦う)、二つ目は、敵の意志に従順になりチャンスが来るまで待つという漢の劉邦が天下をとった戦い方です。また竹簡版の九地篇は「敗を為すを為す」の記述があり、孫子における勝利が、相手の失敗によって得られるものという形篇の記述と合致し、孫子の内容が全篇を通して整合性が取れることが理解できます。
白文
孫子曰:用兵,有散地,有輕地,有爭地,有交地,有瞿地,有重地,有泛地,有圍地,有死地。諸侯戰其地,為散。入人之地而不深者,為輕。我得則利,彼得亦利者,為爭。我可以往,彼可以來者,為交。諸侯之地三屬,先至而得天下之衆者,為瞿。入人之地深,倍城邑多者,為重。行山林、沮澤,凡難行之道者,為泛。所由入者隘,所從歸者汙,彼寡可以擊吾衆者,為圍。疾則存,不疾則亡者,為死。是故,散地則母戰,輕地則母止,爭地則母攻,交地則母絕,瞿地則合交,重地則掠,泛地則行,圍地則謀,死地則戰。
所謂古善戰者,能使敵人前後不相及也,衆寡不相恃,貴賤不相救,上下不相收,卒離而不集,兵合而不齊。合於利而動,不合於利而止。敢問:敵衆以正,將來,待之若何。曰,奪其所愛,則聽矣。兵之情主數也。乘人之不給也,由不虞之道,攻其所不戒也。
凡為客之道,深入則專,主人不克。掠於饒野,三軍足食。謹養而勿勞,并氣積力,運兵計謀,為不可賊,投之母所往,死且不北,死焉不得。士民盡力。兵士甚陷則不懼,無所往則固,深入則拘,無所往則鬭。是故,不調而戒,不求而得,不約而親,不令而行。禁祥去疑,至死無所之。吾士無餘財,非惡貨也。無餘死,非惡壽也。令發之日,士坐者涕沾襟,臥者涕交頤,投之無所往者,諸歲之勇也。
故善用軍者,辟如衛然。衛然者,恆山之蛇也,擊其首則尾至,擊其尾則首至,擊其中身則首尾俱至。敢問:賊可使若衛然虖。曰:可。越人與吳人相惡也,當其同舟而濟也,相救若左右手。是故,方馬埋輪。不足恃也,齊勇若一,正之道也。剛柔皆得,地之理也。故善用軍者,攜手若使一人,不得已也。
將軍之事,靜以幽,正以治,能愚士之耳目,使無之。易其事,革其謀,使民無識,易其居,汙其途,使民不得慮。帥與之期,若登高而去其梯。深入諸侯之地,發其機。若敺羣羊,驅而往,驅而來,莫知所之。聚三軍之衆,投之於險,此將軍之事也。
九地之變,屈信之利,人情之理,不可不察也。凡為客,深則槫,淺則散,去國越境而師者,絕地也。四者,矍地也。入深者,重地也。入淺者,輕地也。倍固前隘者,圍地也。倍固前敵者,死地也。毋所往者,窮地也。是故,散地,吾將一其志,輕地,吾將使之僂,爭地,吾將使不留,交地也,吾將固其結,矍地也,吾將謹其恃,重地也,吾將趣其後,泛地也,吾將進其途,圍地也,吾將塞其闕,死地也,吾將示之以不活。故諸侯之情,遝則禦,不得已則鬭,過則從。 是故,不知諸侯之謀者,不能預交。不知山林險阻沮澤之形者,不能行軍。不用郷導者,不能得地利。
四五者,一不智,非王霸之兵也。彼王霸之兵,伐大國,則其衆不得聚。威加於敵,則其交不得合。是故,不事天下之交,不養天下之權,信己之私,威加於敵。故其國可拔也,城可隋也。无法之賞,無正之令,犯三軍之衆,若使一人。犯之以事,勿告以言犯之以害,勿告以利。芋之亡地而后存,陷之死地而后生。大衆陷於害,然後能為敗為。
為兵之事,在於順詳敵之意,并敵一向,千里殺將,此謂巧事。 是故,正舉之日,毋通其使,厲於郎上,以誅其事,敵人開闔,必亟入之。先其所愛,微與之期,賤墨隨敵,以決戰事。是故,始如處女,敵人開戶,後如脫兔,敵不及距。
書き下し文
孫子曰く、用兵には、散地有り、軽地有り、争地有り、交地有り、衢地有り、重地有り、泛地有り、囲地有り、死地有り。諸侯其の地に戦う者は、散と為す。人の地に入りて深からざる者は、軽と為す。我得れば則ち利にして、彼得るも亦た利なる者は、争と為す。我も以て往く可く、彼も以て来たる可き者を、交と為す。諸侯の地三属し、先に至らば而ち天下の衆を得る者は、衢と為す。人の地に入ること深くして、城邑に倍くこと多き者は、重と為す。山林、沮沢を行き、凡そ行き難きの道なる者は、泛と為す。由りて入る所の者は隘く、従って帰る所の者は汙(迂)にして、彼寡にして以て吾が衆を撃つべき者は、囲と為す。疾ければ則ち存し、疾からざれば則ち亡ぶ者は、死と為す。是の故に、則ち散地には、戦うこと母く、軽地では、則ち止まること母く、争地では、則ち攻むること母く、交地では、則ち絶つこと母く、衢地では、則ち交を合わせ、重地では、則ち掠め、泛地では、則ち行き、囲地では、則ち謀り、死地では、則ち戦う。
所謂古の善く戦う者は、能く敵の人を前後相い及ばざるなり。衆寡相い恃まず、貴賤相い救わず、上下相い扶けず。卒、離れて集まらず、兵、合しても斉わざる。利に合えば動き、合わざれば止まる。敢えて問う、敵、衆にして以て正、将は来たらんとす。之れを待つこと若何。曰く、先ず其の愛する所を奪わば、則ち聴かん。(矣)兵の情は、主の数なり。人の給えざるに乗じ、不虞の道に由り、其の戒めざるところを攻めるなりと。
凡そ客為る道は、深く入れば則ち槫(専)にして、主は人に克たず。饒野に掠むれば、三軍の食は足る。謹み養いて労すること勿く、気を併せ力を積み、兵を運んで計謀し、賊う可かざるを為し、之れを往く所毋きに投ずれば、死して且つ北げず。死焉んぞ得ざらん、士は人に力を尽す。兵士は甚だしく陥いれば則ち懼れず、往く所無きて則ち固く、深く入りて則ち拘し、往く所無ければ則ち闘う。是の故に、調えずして戒め、求めずして得て、約せずして親しみ、令せずして行う。祥を禁じて疑を去れば、死に至るまで、之の所無し。吾が士に余財無きも、貨を悪くむに非ざるなり。余死無きも寿を悪むに非ざるなり。令を発するの日、士で坐する者は、涕で襟を霑し、臥する者は、涕が頤に交わる。之れを往く無き所に投ずれば、諸・歳の勇なり。
故に善く兵を用いる者は、衛然の如く避ける。衛然とは恒山の蛇なり。其の首を撃てば則ち尾至り、其の尾を撃てば則ち首至り、其の中身を撃てば則ち首尾倶に至る。敢えて問う、衛然の若く賊う可からしむか。曰く、可なり。越人より呉人、相い悪むなり。其の舟を同じくして済るに当たり、相い救うこと左右の手の若し。是の故に、馬を方して輪(曲輪)を埋めるも、未だ恃むに足らざるなり。勇を斉えて一の若くするは、正の道なり。剛柔皆な得るは、地の理なり。故に善く軍を用いる者、手を擕えて一人を使うが若くして、已むを得ざるなり。
将軍の事は、静にして以て幽なり。正を以て治まり、能く士の耳目を愚にして、之れを無からしむ。其の事を易え、其の謀を革め、民に識るを無から使む。其の居を易え、其の途を汙(迂)にし、民に慮る得ざら使む。師に之れを與して期し、高きに登りて其の梯を去るが若く、深く諸侯の地に入り、其の機を発するは、群羊を駆るが若し。駆られて往き、駆られて来たるも、之れの所を知ること莫し。三軍の衆を聚めて、之れを険に投ずるは、此れを将軍の事と謂う。
九地の変、屈伸の利、人情の理は察せざる可からざるなり。凡そ客為るは、深ければ則ち榑(専)らに、浅ければ則ち散ず。国を去りて境を越えて、師のある者は、絶地なり。四達する者は、衢地なり。入ること深き者は、重地なり。入ること浅き者は、軽地なり。倍は固くして前の隘き者は、囲地なり。倍は固くして前に敵のある者は、死地なり。往く所毋き者は、窮地なり。是の故に、散地には、吾が将に其の志を一にさす。軽地には、吾が将に、之れをして僂ま使めんとす。争地には、吾が将に留まらざら使めんとす。交地には、吾が将に其の結びを固くせんとす。衢地には、吾が将に其の恃みを謹まんとす。重地には、吾が将に其の後を趣さんとす。泛地には、吾が将に其の途を進めんとす。囲地には、吾が将に其の闕を塞がんとす。死地には、吾が将に之れを以て活きざるを示さんとす。故に諸侯の情は、遠ければ則ち禦え、已むを得ざれば則ち闘い、過てば則ち従う。是の故に諸侯の謀を知らざる者は、予め交すること能わず。山林・険阻・阻沢の形を知らざる者は、軍を行ること能わず。郷導を用いざる者は、地の利を得ること能わず。
四五の者、一も智らざれば、王覇の兵には非ざるなり。彼の王覇の兵、大国を伐たば、則ち其の衆、聚まるを得ず。威を敵に加えれば、則ち其の交の合するを得ず。是の故に、天下の交を事わず、天下の権を養わずして、己れの私を信して、威を敵に加わえる。故に其の国は抜く可く、城は隋う可し。无法の賞、無正の令は、三軍の衆を犯して、一人を使うが若し。之れを犯すに事を以てして、告るに言を以てする勿れ。之れを犯すに害を以てして、告ぐるに利を以てする勿れ。之れを亡地に芋にし、而る后に存す。之れを死地に陥れて、而る后に生く。夫れ大衆は害に陥りて、然後に能く敗を為させるを為す。
兵を為すに之れの事は、敵の意に順詳にするに在り。敵に幷て向うさきで一となり、千里にして将を殺すは、此れを巧事と謂う。是の故に正の拳がる日は、其の使を通すこと母く、郎上において厲しくして、以て其の事を誅す。敵、人に闔を開かば、必ず亟かに之れに入り、其の愛する所を先んず。微して之れと與(与)に期す。剗墨して敵に随い、以て戦事を決す。是の故に始めは処女の如く、敵、人に戸を開かば、後は脱兎の如くにして、敵、拒むに及ばず。
現代訳
孫子曰く、地形は、軍隊の助けであると。そして用兵の方法には、「散地」、「軽地」、「争地」、「交地」、「衢(く)地」、「重地」、「泛地(はんち)」、「囲地」、「死地」があります。諸侯が自分の領土で戦うのは「散地」です。相手の領土に侵入して奥深くないものは「軽地」です。我が得ても利益になり、他国がとっても利益になるものは「争地」です。我も行きやすく、他国も来やすいものは「交地」です。諸侯の領土に接続していて、その地を先に占拠すれば、天下の民の支援を得られるのは「衢(く)地」です。相手の領土に深く侵入し、城邑を背負うことが多いものは「重地」です。山林や沼沢地を行くような、おおよそ通りにくいと判断するものは「泛地」です中に入り込んだ先が狭く、従って帰るにも遠回りをし、少ない兵力で我の大兵力を攻撃できるのは「囲地」です。判断が速ければ生き残り、速くなければ滅ぶのは「死地」です。そういう訳で「散地」では、(兵士が家族を思い出して逃亡するので)戦ってはならず、「軽地」では、立ち止まって駐屯してはならず、「争地」では、(侵攻軍の場合、敵が占拠するので)攻撃してはならず、「交地」では、連携を絶ってはならず(孤立させない)、「衢地」では、連携を強化させて、「重地」では、敵から食料を奪い、「泛地」では、素早く通り抜け、「囲地」では、戦力目的から練り直し、「死地」では、覚悟を決めて戦います。
所謂、昔の用兵の達人は、敵の前と後が互いに及ばないようにしました。大部隊と小部隊が頼みせず、貴族と平民が救いあわせず、上官と部下が助け合わせず、部隊を分散させて集まらないようにして、仮に兵士が集まっても陣容が整わないように仕向けます(軍隊は)利に合致すれば動くし、利に合致しなければ止まります。敢えて問う。敵が大兵力で戦力を集中させている、そのような状況で将軍が来ている最中です。将軍を待っている間どうするべきでしょうか。曰く、まず敵の大切にする弱点を奪い、そうすれば言うことを聞かせられるだろう。兵の情は、守る側の戦力(と編成)にあります。相手の準備不足に乗じ、危機感の欠如を見抜くことによって、敵が警戒してないところを攻めるのです。
おおよそ敵領土に侵攻する際の見極めとして、深く侵入するほど軍隊は結束し、迎撃軍は相手に勝てません。肥沃な大地から食料を奪えば、全軍の食料を賄えます。慎重に養って疲弊させないようにし、士気を合わせて戦力を蓄えていき、軍隊を動かしながら計謀(彼我の比較と戦略目標の設定)することで、賊にならないことがないのです。これを行き場のないところに投ずることで、死にそうになっても逃げず、どうして決死にならないことがあるだろうか、ならないことはない。そうすることで、勇士は相手に対して力を尽くすのです。兵士は、極限まで追い込まれることで肚が座り、どこにも行くところがないことで堅固になります。敵地に深く入ることで団結し、どこにも行くところがなくなる事で奮闘するのです。そういう道理であるから、調教しなくても戒めあい、求めずとも「勢」を得て、軍律を緩めずとも親しみ、命令しなくても忠実に仕事をします。陽気になることを禁じて疑心を取り去れば、死んでも疑うことはありません。我が勇士が余分な財産を残さないのは、財産を憎むからではありません。ここで死ぬ以外の選択肢を残さないのは、長生きを憎むからではありません。命令が発せられた日に、勇士の中で座る者は涙で襟を濡らし、横たわる者は流れ落ちる涙が顎先で交わります。このように涙を流し覚悟を決めた勇士を、どこにもいけない場所に投入する事で、専諸や曹劌のような勇気を発揮するのです。
このように上手に軍隊を運用する者は「衛然」のように避けます。「衛然」は、恒山に住む蛇です。その頭を撃てば尾が反撃し、尾を攻撃すれば頭が反撃する、胴を攻撃すれば、頭と尾の両方が反撃します。敢えて問う、軍隊を「卒然」のようにさせられるのでしょうか。曰く、できますと。例えば、越人は呉人を目の敵にして、互いに憎しみ合いますが、同じ船に乗って大河を渡る中で嵐に遭えば、互いに救うこと左右の手のようです。そういう訳ですから騎馬隊を組織し(馬を方形に並べる)、曲輪(防御用の土塁)を作るだけでは、頼むに足りえないのです。勇気を整えて組織を一つにできるかどうかは、「正」の見極めです。剛強な者も柔弱の者もすべてに、「勢」を得させるのが「地の理」(地形の特性)です。上手に軍隊を用いる者は、手を携えて一人を使うようにできるのは、やむを得ないようにするからなのです。
将軍の仕事は、「静」(淡々とする)でありながら、「幽」(裏がある)です。正しい方法(「正」を作るような着実なやり方で)で治めることで、士卒の耳目を愚か(怖いもの知らず)にして、裏があることを悟らせません。その仕事を変えて、戦略目標を改め、民兵が知ることがないようにします。留まる場所を変えて、緩やかに動く中で汚い行為を行い、民兵が慮ることがないようにします。決戦を前にして、耳目を愚かにした兵士に覚悟をさせて、高きに登って梯子を外すようにします。深く敵の領土に侵入し、戦いの火蓋が切って落とされたら、後は羊の群れを追い立てるようにします。追い立てられて行き、追い立てられて来て、将軍の裏の場所も理解するものはいないのです。全軍の兵士を集めて、「愚」(耳目を愚かにした者)を「険」(行き場のない場所)に投じることこそ、将軍の仕事というのです。
「九地の変」(九種類の地形の主客の立場の変化)、「屈伸の利」(追い込まれてかた反動で跳ね返す利益のこと)、「人情の理」(これらの実行するための人間心理)、この三つを明察しないことなどあってはなりません。おおよそ敵土に侵攻する客軍は、深く侵入することで結束し、浅ければ離散します。国を去って国境を越えて軍隊がいる場所は、「絶地」といいます。交通の要衝で通路が四方に繋がる場所は、「衢地」です。敵領土に深く侵入しているのは、「重地」です。侵入が浅いのは、「軽地」です。背後が要害の地、前方が狭いのは、「囲地」です。背後が要害の地で、前方に敵がいるのは、「死地」です。行くところがない場所は、「窮地」です。「散地」では、我将軍に、将兵の士気を一つに纏めさせます。「軽地」では、我将軍に、敵をその地で足止めさせます。「争地」では、我将軍に、敵にその地で留まらないように仕向けさせます。「交地」では、我将軍に、我が軍の連携を固めさせます。「衢地」では、我将軍に、頼みとなる同盟国との外交を慎重に行いさせます。「重地」では、我将軍に、敵の背後を突くようにさせます。「泛地」では、我将軍に、敵軍を進軍させます。「囲地」では、我将軍に、逃げ道を塞がせます。「死地」では、我将軍に、敵に生き残れないことを悟らせます。だから侵攻してくる諸侯の軍の心理は、本国から遠く離れることから備えようとし、已む得ない状況になることで戦い、我が過ちを犯せば、それを利用し従おうとします。そういう訳で、諸侯の「謀」(戦力目標)を知らなければ、予め連携を作り配置を決めることはできません。山林や険しい場所、湿地などの地形を理解してなければ、行軍させることはできません。道案内を活用しなければ、地の利を得ることはできません。
四と五の力関係では、一の戦力差をひっくり返す「智」がなければ、王・覇の戦いではありません。かの王・覇の戦いでは、大国を征伐しようとした時、大国は兵士を集めることができませんでした。威を敵に加えることで、連携や同盟を失わせたのです。そういう訳で天下の国々を相手に同盟工作をする必要はなく、また覇権を築く努力も必要がありません。自分の手に入れた利益を保証することで、威を敵に加えるのです。そうすることで、敵の城を奪い、敵の国を堕とすのです。法外な褒賞と異例な命令を出して、全軍の兵士に衝撃を与えて、一人を使うようにします。全軍の衆に衝撃を与えるには、行動で示して、言葉では伝えてはなりません。劣勢の時に発令し、優勢の時に発令してはいけません。法外な褒賞と異例な命令は、滅亡するような窮地で植えるからこそ、その後で存続するようにできます。全軍を危険な状況に陥らせて、そうした後で安全な状況にします。そもそも優れた兵衆を、苦しい状況に陥いらせるからこそ、その後になって敵の敗因を引き出すことができるのです。
戦いにおいて敵の失敗を引き出すのは、敵の考えの細部にまで従うことです。敵に併呑(支配)されて、その行き先で一つになり、千里の距離を乗り越えて敵将を殺す、これを巧みな仕事と言います。そういう訳で挙兵するべき日には、使者を通さないようにし、通行証を無効にし、部下を使って上位者を厳しく取り締まって、敵の間者を発見し誅殺します。(もしくは保身から弱腰になるものを誅殺する)敵、相手に戸を開けば(油断して隙を見せたら)、必ず速やかに「闔」隙ができたところに入り、敵の大切なところ(弱点)を優先します。敵の大切にする弱点に向かって小さくなって隠れ潜み、勝利を期するのです。書道の墨を丁寧でするように敵に従い、そうした後で軍事行為の決着をつけるのです。そういう訳ではじめは処女のように振舞い、敵が相手に門を開いたならば(油断した)、後は脱兎のように(怒涛の勢いで)攻め立てれば、敵は防ぎ切れないのです。