「破勝」と「全勝」
「孫子」には、様々な「陰陽」の対概念が出てきますが、私が特に重要だと考えるのが、「全」(陰)と「破」(陽)です。謀攻篇に出てくる漢字ですが、この二者を陰陽の関係で捉えると多くのものが見えてきます。「全」は、戦力や国力を保全し、抑止力を作り戦わずして勝利する考えたです。対して「破」が、武力を行使し、戦力を消耗させるだけでなく、国力も消耗させる勝利の考え方です。
私たちが日常的に使う「勝」は、「破」の勝利、「破勝」になります。スポーツにしてもビジネスにしても、勝つとはつまり敵を打ち破ることです。しかし「孫子」謀攻篇では、理想的な勝利は「全き」であるといいます。「孫子」を読むときに、漢字に辞書で書かれる意味だけで読むと、「勝」は勝利と訳される訳ですが、本文で述べられる意味が込められると解釈が大きく変わります。
私は、「孫子」に出てくる「勝」の字は、「全勝」として読むべきであると提唱したいと思います。
「陰陽」の概念を使うと、物事を単純に捉えなくなります。勝利には「破勝」(陽)と「全勝」(陰)の二つがある訳ですが、これを組み合わせることで、理想的な勝利を設定することができます。単純に「陰」である「全勝」を求めるのは机上の空論になります。
陰陽理論では、「本末の順序」があります。つまり本質(陰)を土台にして、末節(陽)を乗せていくという考え方で、物事を上手くいかせる原理原則と言えます。
「本質(陰)を土台にして、末節(陽)を乗せていく」を、「破勝」と「破勝」にも当てはめます。つまり、「全勝」国力を保全して抑止力で勝利することを土台にして、局所で「破勝」軍事力を行使して敵の軍事力を攻撃します。「破勝」は「全勝」を助けるために使い、「全勝」が前提にあるから「破勝」を成功させることができます。
「孫子」には「水」と「火」の対概念が出てきますが、「水」は単純な水攻めではなく、謀攻による攻撃であり、「全勝」を目指す戦い方です。一方、「火」は、単純な火攻めではなく物理攻撃全般を指し「破勝」を目指す戦い方です。孫子の中にはこの二者を融合させるという言葉はありませんが、火攻篇に「水」と「火」の解説があり、この二者の使い分けが重要であることが分かります。
さてここまで読んで、私が「孫子」の中で最も好きな言葉「必ず全きを以て天下を争う」があります。国力の保全、充実、抑止力で天下を争うというものです。「破を以て天下を争えば、必ず国破れる」の一文を追加したいと思います。前述の「乱世の帝王学|孫子の解説3」で、孫子は帝王学であると述べた理由は、ここにあります。軍人の勝利は「破勝」であり、君主の勝利は「全勝」になります。
孫子に出てくる漢字は、このように本文の中に出てくる意味が込められるというルールがあります。このことについては、次の「解読|孫子の解説5」「表現|孫子の解説6」で詳細を解説したいと思います。
「敗」の意味は、「敗北」ではない
さて「勝」について解説した次は、その対概念の一つ「敗」を解説したいと思います。「孫子」を丁寧に読むと、「敗」は単純に敗北の意味ではないことが分かります。結論を申し上げると「敗」は、「失敗」のことです。勝利の要因を失うことです。
「現行孫子」と「竹簡孫子」の大きな違いの一つに、九地篇の次の文章があります。現行孫子は「勝を為す」とあり、竹簡孫子は「敗を為すを為す」があります「現行孫子」は、「〜することで勝利を作り出せる」としますが、「竹簡孫子」は「〜することで(敵の)失敗を引き出すことができる」とあります。孫子において勝利は、敵の失敗によって作り出されるものです。いかに相手から「敗」(失敗)を引き出すかという戦いなのです。
このように「勝」と「敗」を解釈すると、「勝」とは戦力を保全し、連携させて、抑止力を作ることで、その地を制圧することです。この「勝」は、自分だけでなく敵も目指すわけで、時勢の変化に合わせて、戦力の配備を動かす訳です。その中で戦力の配備に失敗し、戦力の空白を作ることが、「敗」であり、「虚実」の「虚」になります。「実を以て虚を撃つ」ことが、「孫子」の目指す戦い方になります。
陰陽理論を理解することで、勝利の概念、失敗の概念も解釈が拡がったのではないでしょうか。「孫子」をはじめとした兵法書は、勝利を目指すものですから、目指すべき「勝利」の捉え方が、そのまま戦略の巧拙に繋がる訳です。